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対照的なモノの中に本質は見える

陰中の陽、陽中の陰の丸ポチ。

これはお互いの中にも反対の性質は存在する、それくらいに思っていた。

でも実は「陰」よりも「陽中の陰」の丸ポチほうが如実に本質を表していて、大事なことがわかってきた。

お互いの間には対照力が働く。それぞれのエネルギーはこの対照力を理解することでよりスムーズに働く。

これをわかりやすく例えれば、

カレーライスとライスカレー。

カレーはライスの対照力があるからこそ美味いのであり、ライスもまた対照力のあるカレーがあるからその旨味を真に味わうことができる。

自分はラッキョウが食べたいがためにカレーを食べる時があるけど、それも同じことなのかもしれない。対照力を用いたほうがより本質は楽しめる。

そしてこれはいろんなことに言い換えられる。

制約があるからこそ、その中に自由があり、

自由だからこそ、そこに制約も生じる

愛するがゆえにその中に憎しみが生まれ

憎むのはそこに愛があるから。

本質はその対照力が働くものの中にある。

そのものに執着しすぎれば本質は見失われ、逆に対照となるもの中に本質は浮かんでくる。

対照力の理解は自由をもたらす。

自由自在とは「自らの在り方に縛られないこと」であり、これは言い換えれば「色々な在り方が出来る」ことでもある。(ここにも対照があり「縛られない」ことに拘ると縛られるんですね、これがまた…)

この在り方とは場所や職業や人間関係などそういう物質的な話に限ったものではなく、心の在り方でもある。

一見自由自そうに見えても何かに縛られている人は意外と多い。

片方だけに囚われるのではなく、

1.2つのバランスの中のどこに自分がいまいるのかを把握できる能力(問題の分解・解析能力)

2.そして必要に応じて往き来できる能力(すぐ戻ってこれる能力)

この二つを備えることが「自由=無」の境地。

これは身体の問題にも言えることであり、

心の問題にも言えること。

聖を求めようとするなら「聖」の中ではなく、「俗」の中にそれを求めよ。

「賢」を求めようとするなら「愚」の中にそれを求めよ。

「正」を求めるならば、「奇」の中にそれを求めよ。

天の道理

「禍福は天から降るに非ず

己から出る」

吉田松陰の言葉で好きなもののひとつですが、

実はこれ神仙思想からきてるんだなぁと最近気付きました。

悪いことが起こるのは

悪いことが起こるような行為をしたからで

良いことが起こるのは

良いことが起こるような行為をしたから

それが天の道理。

天の道理を理解すれば

物事の良し悪しで心が浮き沈みすることも

なくなる。

こんなことを言われたら身も蓋もないように

感じてしまうけど、

「明日はきっと良いことがある」

と思いたいなら、

まず良いことを行わなければ事態は好転しない

あぁ、なんて身も蓋もない、、、笑

良いことも悪いことも

自分中心の問題と

他人が持ち込んできた問題

どちらかにわけられる。

もしくはその両方がたまたま引き合わされて

合体して降りかかってくることがある。

そこを因数分解して考えられれば

変な影響には引きずられなくなります。