伊勢山皇大神宮と野毛山不動尊

昨日は初めて伊勢山皇大神宮と野毛山不動尊へ。

伊勢山皇大神宮はいいですね〜

鳥居から清らかな雰囲気。

  
境内に上がると手のひらからピリピリと感じる何かが。でも本殿は凄く落ち着きがありますね。

しかしそれよりも境内社の杵築宮/子之大神のほうが荒々しいものを感じたのは須佐男命がまつられてるからでしょうか。
その後、野毛山不動尊へ。

  
お参りしてからお清めの塩を買うと「この後護摩焚きがあるのでぜひご参加下さい」と案内される。

「え?誰でも参加できるんですか?」

「はい1時からになりますが」
一度参加してみたいと思っていたので願ってもない出来事だった。

午前中はちょっとした不思議なご縁もあったのでその流れなのか。

荘厳なお堂の中で暫く待つと、行者による護摩焚きか始まった。

 

不動三尊を4大明王が囲む
 
初めの方でお不動様の真言と「南無大日大聖不動明王」を一緒に唱和。
そこから護摩供養が始まる。

聞いたことのない陀羅尼やお経も飛び交う中、般若心経は一緒に唱和させていただいた。

約20分の護摩焚き、祈りながら良い修行になりました。

終了後に「裏の12仏をご参拝下さい」と言われさっかくなので足を運んでみるとそれぞれの仏像に『不動明王像 10万円』などお値段がズラリと貼って並べてあった。

これはちょっとひきました、汗

どれも素晴らしい出来上がりなんですけどねぇ、露骨過ぎる、、、必要なこととはわかっていますが、正直有り難みが薄れてしまいました。。。

でも護摩焚きを平日から体験できるのは素晴らしいです。
午後一時から行われてるようなので、ご興味ある方はご参加してみてはいかがでしょうか^ ^
こちらです→横浜成田山 野毛山不動尊

 

手水舎の剣に絡まる双竜もいいです
 
 
お加持されている浄塩。試しに使ってみようかなと。300円とお求めやすい値段です。自宅のお清めなどに。
 

人のお役に立つ〜身体をはって二人三脚

たまたま今日の「ちびまる子ちゃん」を見ていたのですが、、、

  
マラソンが死ぬほど嫌いなマル子を励まそうと、マラソン選手のドキュメンタリーを観ていたおじいちゃんが「まる子のコーチになりたい」と思い立ち即行動します。

なかなかこんなことできるものではないなぁとちょっと感動してしまいました、笑
まる子のおじいちゃんは本当に純粋ですよね。
人は誰かの役に立っている時が一番生き甲斐を感じます。
その生き甲斐は何も特別な仕事に就いていなくても、ほんのちょっとしたことで得られたりするものです。
日常の生活でも役に立つことはできます。

電球を交換して欲しかったり、部屋の掃除をして欲しかったり、家具を直して欲しかったり。それらを解決していけば喜ばれることは間違いないです。

そしてそれが最終的に自分の仕事になるのが一番理想的な形です。
あなたが周りの人の気持ちやニーズに気づくことができるかどうか。

精一杯相手のために何かしてあげたいと思えるかどうか。

本来はその延長線上に「職業」があるのであって、会社に勤めること・会社員であることが「職業」ではないことにそろそろ気づきましょう。

仕事は会社にあるわけではありません。
あなたの中にあります( ´ ▽ ` )

私も少しみなさんのお役に立てないかと考えこんなことを始めます。

身体や心の調子が悪い方は一度試してみませんか?

ご興味ある方はお気軽にご相談下さい( ´ ▽ ` )ノ

こちらから→→→癒し屋本舗

自分を許す

一昨日の話ですが、師匠のもとへ妹を連れていきました。

施術を受けたいというので繋いだのですが、色々悩んでいるようなので相談もしてもらえればなーと思い連れていったのですが、、、
結果は私も驚きの事態に。

妹は師匠に食ってかかりました。

自律神経がやられていたみたいで、我々の言葉を全面ブロック。師匠の言葉も親から説教されているように聞こえて不快だった模様。

「おいおいどうしたんだ!?」

実は数日前に母から実家でのやり取りを聞かされてはいたのですが、ここまで凄いとは。

全部否定しないと頑張ってる自分を保てない状態になっていました。

師匠も施術をしながら「もっと自分を許してあげなきゃ可哀想よ」
となだめましたが、時たま涙を見せるも今の妹にはその言葉は届いていませんでした。

「自分はこうでなきゃいけない」

「自分はこういう人生を生きてきたのだからこういう人間なのだ」

「あの過去を乗り越えるためにはこうしなきゃいけない」

こういう自分で作った枠って実は意味がないのです。
こんなものわざわざ狭い枠を作らなくても「あなた」は「あなた」でしかありません。

自分も妹と似た傾向があるので気持ちはわかります。親からのプレッシャーにさらされながら育ってきてるので抱えてるものは仕方ないのですが、しかしやはり、自分を保つための意地ほどいらないものはない。

と今ならわかります。

キツイならきついと言えばいいし、途中で投げたっていいんじゃないかと。

それで自分が壊れるわけじゃない。

何か捨てたらむしろ不動の自分が見えてきます。

それこそ真の「自分」じゃないでしょうか。
何を選択しようが何を捨てようが、「自分」という1つの基準は何も変わらないんですよ。

それを知らないから怖くて意地になってしまうけど、「自分」がなくなることはないんです。

世は無常。

くるくると変わりゆくこの世界、

私たちの細胞だってどんどん新陳代謝していって変わっています。

でも不思議と核となる「自分」は変わらずにあるんですよね。

もちろん、変わらない、進化しないままはまずいですけど、
人間そうそう簡単に変わるものでもない。
勝ちを得ようが敗けを認めようが
あなたはあなた。
何も怖れることはないです。

現在のありのままの自分を受け入れて欲しい。

体・技・心

「心技体」という言葉はご存知だと思います。
でもこれって、順番が違うんじゃないかなぁって。
体・技・心じゃないのかなあと。
特に何につけても「体」つまり、

健康が一番大切だとは思いませんか?

どんなにすごい技を出そうとしても、

どんなに強く心を持とうとしても

身体がボロボロだったらどうにもなりません!!
八幡様の総本山である大分の宇佐八幡宮。

こちらの経典の「神諭」にこんなことが書かれています。

身体は神様の容れ物。身体が穢れていたら神様はこない。


身体の健康に努めるのが大切です!!

  

山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。