【修験×自然×世界×現実×学問】
修験道は自然とひとつになって
世界=神を感じる信仰だ。
向き合えば向き合うほど
混ざれば混ざるほど
そこに人間のエゴや思惑は
挟まれる余地はなくなっていく。
世界は目の前にただ在るのみ。
偏見も差別も
そして容赦もない。
自然と向き合うことは
純粋な科学であり
純粋な医学であり
純粋な量子物理学でもあり
純粋な学問へ自然とつながっていく。
一方で宗教というのは時として
為政者や支配者側の思惑が働く。
昔も今もそういう要素の方が強い。
そういう大衆のための道である信仰と
為政者側のための宗教はよく観察すると
巧妙に入り混じっている部分があるので
注意しなければならない。
今回のような有事の際において
自分の振る舞いを考えるにあたって
一体だれのための信仰なのか?
というのを毎日問いつづけていた。
いま現代において望ましい形は
“大衆のため”だろう。
木曽御嶽山における大衆信仰の
起こりと流れからわかるのは
江戸中期に神事(神懸)は権力者から
大衆へと広がる動きがあったことだ。
(逆にこの頃に為政者側はすでに神仏分離を始めている地域もあった点はかなり興味深い)
これは全国的に起こった。
いわば宗教のデモクラシーだ。
その中心は修験道という領域を
中心に起こっている。
全国に沢山の講が起こった。
私はここ数年、
修験廃止令というものは
明治の神仏分離令を
より徹底するために
行われたと考えていたが
それだけではないなと今回気付いた。
珍型コロナの虚構や煽動を踏まえて
いまの世界を俯瞰すると、
明治になぜ修験道が廃止されたのか
その本当の理由がいまなら
よくわかる気がする。
純粋に世界と向き合われると、
嘘で取り繕いたい側からすると
とても宜しくない存在なのですよね。
当時もそういう先人が
沢山いたのだろうと。
あの時代も世界と対峙するために
取り繕わなければならなかった。
そこに対して絶対的な自然界を柱とする修験道は
もっともニュートラルな存在であり
なんとも邪魔な存在になりうる。
取り繕ったその後の末路は
いま終焉を迎えようとしている
戦後時代のスタートと入れ替えで終わった。
こういう流れを振り返ると
修験道の立ち位置や在り方を
改めて考えさせられる時間でもあった。
色眼鏡のない世界、
固定観念のない世界、
しがらみのない世界、
嘘偽りのない世界、
そしてありのままの世界。
それが自然であり宇宙であり
いつも私たちの目の前にありながら
現代人がすぐに見失う世界なのです。