
「原発で5000人、ゾーンの中で5000人働いているんだ」
チェルノブイリ訪問で一番印象的だったのはガイドのこの言葉だった。
「いまだに一万人も働いているのか」
1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故だが、最終的に1〜3号炉の全機が稼働停止となったのは2000年12月になる。
そこからは4号炉の新石棺の建築工事と、1〜3号機に残った燃料棒の管理や回収などが現場での主な作業と考えられる。電気を生み出しているわけではない。つまり生産性は何もない。後始末だけが行われている。
そういう状況で未だに1万人もの人が働いているというのは、不思議なことだと思わないだろうか。そもそもウクライナは財政危機で苦しいのに、こういういわば負債物件に多額の費用と労力を費やしている様を見てしまうと「そりゃそうなるな」と思いつつ、福島第一原発を抱える日本に対しても同様の不安を覚える。
そういえば福井の高速増殖炉もんじゅも、再稼働してはすぐトラブルで停止を繰り返しているが、いつまでやるつもりなのかと疑問に思う。成功する気運が感じられない中、大量の時間と資金と労力を費やし続けている。全く生産性のない現場ですよね。
チェルノブイリの仕事はそこそこ稼げる
労働者数も驚きだが、給料も実は意外といいらしい。
ゾーン内での労働は働ける日数が決まっている。積算被曝量を管理するためだ。「放射線の管理は時間と距離」。だから一ヶ月のうち15日しか働けない。15日経つと、従業員たちは一度ゾーンから出なければいけないため、故郷へ戻ったりする。
しかしその15日間の労働で、5000グリブナ(ウクライナ通貨単位)もらえるという。これはウクライナの平均月給程度。おまけに宿泊費と食事は無料。半月働けば一ヶ月分稼げるのは魅力的に感じる。(※5000グリブナは現在のレートで換算して約21,000円。物価は日本の10分の1程度としてイメージしていただければ良いかと。)
ちなみにだが、チェルノブイリ原発の従業員居住地として建設されたプリピャチは当時、周辺と比べるととても豊かな都市だったようだ。物資もプリピャチに集中していたらしい。「当時は周辺の村ではお金があっても食料すら買えない状況があった。しかしプリピャチには何でも揃っていた。だから若者が続々と移住してきたんだ」そんなガイドの話を聴くと、栄華を極めていた原発都市が目に浮かぶ。まあその歴史も16年で幕を閉じるわけだが。
福島の除染業務もそこそこ稼げる
チェルノブイリに対して福島はどうなのか。
こちらもそこそこ稼げるようだ。私が福島でお世話になっている方が除染業社を立ち上げて頑張っていらっしゃるので、ここら辺のお話は色々伺っている。どこの下請けとして入っているかによっても給料は変わってくるらしいが、条件が良いところだと1日2万円、月総支給額で40万円にはなる。プラス交通費が別で出る場合もあるとか。全国的に不景気で東北も例に漏れない状況の中、月40万円は地方からすれば悪くない条件だ。もちろん、朝が早かったり、現場が遠かったり、色々条件もあるようだが、それでもとにかく頑張りさえすれば40万円稼げるというのは好条件だと思う。
そういう好条件ゆえなのか、隣県の山形などから若い女性も作業員として働きに来るというのだから驚きだ。実際に6号線を走る送迎バスと思われる車両の中に若い女性の姿も度々見かけたことがある。
不景気が続く中、皮肉にも福島第一原発事故は多量の雇用を創出することに一役買った。仕事がない不景気が続く中、「復興」の大義名分のもとに沢山のお金と人が動いているのは間違いない。原発事故によって生まれた仕事に助けられている人は大勢いる。全国から続々と出稼ぎ労働者が福島に集まっている現状がそれを物語っている。
チェルノブイリゾーンに帰還して生活してきたイワンさんも「当時からゾーンの中にも仕事は沢山あったから特に困らなかった。線量の測定もやったことがあるしね。」とのこと。住民から生活環境を奪う放射能だが、皮肉にも雇用を創出する力は随分あるらしい。
チェルノブイリの帰宅ラッシュを見て
チェルノブイリ原発内の視察が終わっていざ帰る時、ちょうど原発庁舎の玄関口を通り過ぎた。時間は16時半頃。そこには定時になって帰宅しようとしている従業員が続々と出てきて、スラブティチ(プリピャチ市民の移住先の街)行きの送迎バスに乗り込んでいった。
原発施設内を見て回った時はそれほど人がいるようには感じなかったのだが、「こんなに中に人がいたのか」と驚くほど、ぞろぞろと大勢の人たちが玄関から出てきた。学校の下校時間や企業の退社時間によく見る、日本でも何気ない風景。
しかしここは事故でその輝かしい歴史に幕を閉じた旧原発都市。
当時は世界を巻き込み、震撼させた負の遺産。
ここで今なお1万人の従業員が働いている。
その人たちを目の当たりにすると何とも不思議な心地になる。
