「感謝」タグアーカイブ

【果報はただ寝ててもやってこない】

【果報はただ寝ててもやってこない】

万事抜かりなく

やるべきことを

全てやったうえで(人事を尽くして)

はじめて委ねられる(天命を待つ)

“果報は寝てまて”とは

そういうことを指している。

穴だらけでただ自己満みたいに

やった気になってるだけじゃ

いくら寝て待っても

果報なんて届くわけがないぞ。

バカなのか?

そんなに神様は甘くない。

果報が届かないのは

やり方がまちがっているから。

本質がズレているから。

「やれることはやった」

その基準値と質をあげる努力をしないと

死ぬまで果報は届きません。

【慮る×自己都合×解釈】

相手を慮れない人というのは

先祖やそれに関わる神さまに対しても

同じように慮れない傾向がある気がする。

なぜか自分勝手な解釈なんですよね。

いつだって相手の都合は考えない。

相手にあわせる必要はないけど

多少気はつかわんと。。。

つねに「私」が優先。

きっと誰が相手でも同じ。

友達に対しても

取引先に対しても

ご先祖様に対しても

神さま仏さまに対しても

実に面白い。

いや、実におそろしい…。

これで物事がうまく廻るわけがない。

と童子も仰っております。

平成最後の晩餐。

朝なかなか起きられず、今朝の勤行はなぜか10時から。

平成終結の感謝とともに明日からの始まりを私も祈らせて頂きました。どうやらプリンスも一働きした模様。

無事に今日が終わるように祈らせて頂きました。

そのあと午後は今年もお客様をご紹介頂いたりと大変お世話になっている方のお宅で施術のお仕事。平成最後の晩餐もそこの奥様の手料理にありつけ有難い限りです。

そして明日は令和元日の禊に滝行へ。自らの禊祓いが目的ではありますが、観音崎の龍神はそれだけでは終わらないと思うので、新元号の幕開けの祈りもさせて頂くつもりです。

天気が荒れませんように。

「全員集合!」彼岸、墓地での祓い

3月はたぶん一番慌ただしい月です。普通に生活してるはずなのに、気付くとひたすらお経をあげてるような感覚に陥る。

東日本大震災とお彼岸。この2つがあるので、黙っていてもお経をあげる機会が必然的に多くなってきます。

今日もお彼岸で津田沼のお墓詣りへ行ってきましたが、墓前でお経をあげはじめると蝋燭がどんどん飛び散って祓いが始まってしまった。

ご先祖様の供養で来てるのに、こちらが供養をしていると周りのお墓の仏様たちもみんなこちらが気になるのですよね。注目の嵐。そこは仕方がない、寧ろお手伝いさせて頂ける喜びを持って、来るもの拒まず、大歓迎でお経をあげさせて頂きました。

「さ、プリンス!やるよ、お願いします!」

観音崎の龍神のお数珠をもって供養開始。

うちの親戚が置いていったものもありましたが、蝋燭を見る限りでは周りの困っている方々も沢山便乗されたご様子。

途中からあげながら「婆ちゃんたちの供養に来てるんだけど、しょうがないよね。悪いけどちょっとこの方達あげるの付き合ってねー。お世話してあげて、笑」と話しながら、婆ちゃんとの共同作業。

私の生まれる一年前に亡くなった父方の祖母は、晩年に骨肉腫で苦しみ、点々と治療家を探し歩いた末にどこぞの行者の先生のもとへ通っていたらしい。

そういう信仰のある祖母だからこそ、一緒に手伝って頂ければ祖母の霊格もあがるというものです。

本来なら阿弥陀経で十分なのですが、我が家だけでは収まりそうもなく、スペシャルアレンジでの彼岸供養でした。

南無阿弥陀仏。

今日のお経

・般若心経

・自我偈

・阿弥陀経

・阿弥陀如来根本陀羅尼

・九聲念仏

・菩提和讃