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【”誰かのため”は逃げ、責任転嫁】

健康にも関わる重要な話として

“誰かのため”は病気になる危険な思想である、

ということを挙げておきます。

お国のため→戦争

社会のため→共産主義

子供のため→毒親

あなたのため→自己否定してる自分の正当化

自分のために生きることが

責任を転嫁しない健全な生き方であり、

自分のためだからこそ

相手も快く施しやお節介を享受できる。

“誰かのため”は偽善者のいい訳でしかない。

やりたいからやるのだ

自分の柱があるから

そこを中心に世界を作れる

自分の柱があるから

誰かを助けられる。

そこをはきちがえてはいけない。

“自分のために”がない

“誰かのために”は

脆くすぐ崩れる。

つまり相手にも迷惑をかける。

“お互い様”があるようでない。

自分主体でなければ

必ず責任をどこかで投げ出す。

裏を返せば”逃げ”があるから

誰かのためと理由をつける。

そうではない。

やりたいからやるのだ。

自分を生きよ。

これはこの同調圧力の蔓延する

いまの状況下においてもいま一度、

自分に投げかけるべき

問いではないでしゃうか。

【果報はただ寝ててもやってこない】

【果報はただ寝ててもやってこない】

万事抜かりなく

やるべきことを

全てやったうえで(人事を尽くして)

はじめて委ねられる(天命を待つ)

“果報は寝てまて”とは

そういうことを指している。

穴だらけでただ自己満みたいに

やった気になってるだけじゃ

いくら寝て待っても

果報なんて届くわけがないぞ。

バカなのか?

そんなに神様は甘くない。

果報が届かないのは

やり方がまちがっているから。

本質がズレているから。

「やれることはやった」

その基準値と質をあげる努力をしないと

死ぬまで果報は届きません。

【慮る×自己都合×解釈】

相手を慮れない人というのは

先祖やそれに関わる神さまに対しても

同じように慮れない傾向がある気がする。

なぜか自分勝手な解釈なんですよね。

いつだって相手の都合は考えない。

相手にあわせる必要はないけど

多少気はつかわんと。。。

つねに「私」が優先。

きっと誰が相手でも同じ。

友達に対しても

取引先に対しても

ご先祖様に対しても

神さま仏さまに対しても

実に面白い。

いや、実におそろしい…。

これで物事がうまく廻るわけがない。

と童子も仰っております。

平成最後の晩餐。

朝なかなか起きられず、今朝の勤行はなぜか10時から。

平成終結の感謝とともに明日からの始まりを私も祈らせて頂きました。どうやらプリンスも一働きした模様。

無事に今日が終わるように祈らせて頂きました。

そのあと午後は今年もお客様をご紹介頂いたりと大変お世話になっている方のお宅で施術のお仕事。平成最後の晩餐もそこの奥様の手料理にありつけ有難い限りです。

そして明日は令和元日の禊に滝行へ。自らの禊祓いが目的ではありますが、観音崎の龍神はそれだけでは終わらないと思うので、新元号の幕開けの祈りもさせて頂くつもりです。

天気が荒れませんように。