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年始の独り言〜参拝で大事なこと

神さまにお願いするのはいいけどなぁ 

お願いする神さまが何の神さまかも知らないで
お願いしてもなぁ

吉野家でドヤ顔で「ピザ!!(╹◡╹)」とか言ってるようなもんだよなぁ。 

そんな奴には百歩譲っても
お冷しか出てこないだろうなぁ。 

社名も事業も知らずに
「御社に入社したいですp(・ω・)q」
とか言ってるようなもんだよなぁ。 

「うちはいつでも募集してるから
いつでもエントリーしてね」
ってパンフレットと試供品でも渡されるんだろうなぁ。 

たとえば軍神に恋愛成就祈願してもなぁ
「うむ、相手を叩きのめせばよいのじゃな」
っていうことでええんかいなぁ。 

さらにお願いする相手を知りもしないどころか、 

「どこそこの誰べいです」
それすらも名乗りもしないでお願いしても
神さまだって誰の願いなのか
わからなくなって当然だよなぁ。
意外とスカスカとスルーされてるんだろうなぁ。 

子供だってサンタに名前と住所くらいは
伝えておねだりするのにねぇ。 

一番大事なのは今年お願いした神様への
お礼参り
だよなぁ。
本来神社は感謝をしに行く場なのに
それもしないで次のお願いしてもなぁ 

神さまからしたら
「御宅の普段の人間関係って
それで成り立ってるの?」
って話になんだよなぁ。 

願かけてその結果を報告しなきゃ
自分の願かけのPDCAにもならないしなぁ。 

お礼参りって神さま報連相だと思うんだよなぁ。 

お願いをしたら報告と感謝をする
これが願かけのサイクルなんだよなぁ。
そこから次の抱負や展望へ繋がると思うんだよなぁ。 

そう考えると遠方の神社で願かけするのは
余程の覚悟じゃないと
あとが大変なんだよなぁ。 

お礼参りまでするつもりがないなら
それは結局そんなに大したお願いじゃない
ってことなんだよなぁ。 

継続は力なりって言うけど
一見さんよりは常連さんが優遇されるのは
どこでも一緒だと思うんだよなぁ。
神さまももとは人だったわけだしなぁ。 

可能力って神さまPDCAの
サイクルの中に蓄積されてるんだと
思うんだよなぁ。 

神田明神にて


昨日の朝
「お札もらってきたよ」
やっと社内のお札を替えていただけました。
少し空気が変わったような。

水曜日に神田明神へ詣ると、怒ってるんだか拗ねてるんだかなんだか不機嫌でいつもと違う御様子。

ん、なんかおかしいぞ、、、?
年初めになんだっていうの?
オレの問題か?
そんなにまた汚れてる?
ワタクシ汚らしいですか?
元旦から毎朝禊いで今のところ調子いいはずなのに、、、
と暫く悩む

そういえば会社の神棚のお札ってなんだっけ、、、ここじゃなかったっけ?

神棚はフロアの反対側で全くの管轄外なので状況がわからない。

翌朝、ご挨拶。
そういえば社内で仕事始めに挨拶すらしてないじゃん!
すいませんでしたーっ!

…しーん。。。

なんだこれは、、、
もぬけの空なのか?
無視されてるのか?

夕方、秘書さんが私のほうに来たので尋ねてみる

「あの、神棚ってお札替えました、、、?」
「あっ!替えてないかも!前は◯◯さんがいたから全部やってくれてたの。確認してみるね」
◯◯さんを私は全く知らない。
神棚をよく見ると同じ札が二枚あるような、、、もしかして1年以上も替えていなかったりするのだろうか、、、?

密かに気にしていた神棚でしたが、、、

とりあえずepisode1のステージ1はクリアー、、、なのか?

以前の会社は毎朝御供物も新しくして朝礼で神棚に手を合わせていたのでこんなことなかったのだが、、、
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松陰神社へ参拝

今日は世田谷の松陰神社にて松陰先生に久々にご挨拶。

ここでのお賽銭は必ず21円です。

私が十数年ほど失っていた信仰心というものを考え直すきっかけというか、答えを教えて頂いたのが吉田松陰。
本当に感謝しています。

いつもお墓を訪ねては
「お力をお貸し下さい」
とお参りする。
そして被災地で壊された心を沢山感じながら
「神仏の力も借りなきゃ解決できないものがある」
と感じるようになってきたある日、御嶽山行者が私の前に現れた。
結果的に自分自身も色々助けて頂いてるが、「よきにはからっていただいた」以外の何物でもない。


昨日から大河ドラマ「花燃ゆ」が始まった。
3年前、吉田松陰に感銘を受けて「今の日本に一番必要な人物なのになぜ大河ドラマでとりあげないのか」と疑問だったのですがついにきました!

昨日の第一話の終盤は、松陰の玉木文之進に対する問答に熱いものがあった。
「人はなぜ学ぶのか」
今の日本への問いかけが込められていた。
しかしそれを感じ取れる人は今の日本には果たしてどれくらいいるのだろうか。

尊王攘夷側として幕府と対峙した松陰は、過激な行動も度々とるが本質は違う。

親に孝を尽くし、家族を大切にし、塾生と切磋琢磨しあい、牢獄の囚人とも学びあう。とても慈愛に満ちた教育者だ

大陸侵攻論者として挙げられることもあるが、そこは断じて違うと考えている。
神道系の血筋であり忠孝を重んじた松陰のテーマは御国を「いかに守るか」であって夷狄と戦うことではない。
外国からいかに日本を守るか。そして日本の精神を諸外国にいかに伝えるか。

大河ドラマはそこをどこまで掘り下げて伝えてくれるのか。今の間違った方向へ行こうとしている部分に対して都合のいい解釈で訳されてしまわないか。
とても心配しながらも見守りたいと思っています。

ぜひ今年は吉田松陰の本質を見つめて欲しいです。


さてさて初詣は去年より人が多い気がしました。
パワースポットブームなこの頃、大河ドラマの影響で今年はじっくり参拝できないのかなぁ。
松陰先生のお墓も普段より結構人が来ていた。

お願いばっかりじゃなくて、きちっと感謝して、吉田松陰の御霊を怒らせないようにしていただきたいものです。

そういえば吉田松陰は机上の空論を語っているだけの人間を厳しく批判します。
学問は実践してこそ意味があると常々説いています。

口だけで実践しない人間には厳しいのでくれぐれもお気をつけ下さい。

そいうはいっても、一生懸命な人には必ず微笑んでくれるはずです。

至誠神を感ず

吉田松陰の言葉ですが「真心を尽くすせば神をも感動させる」というとても深い言葉です。
誠心誠意で事に取り組めばきっと助けて頂けることでしょう。

世田谷の吉田松陰神社
世田谷の吉田松陰神社