「出羽三山」タグアーカイブ

【里山×不動堂×煙×松】

今年も八海山の大崎口へ降りると
お不動様の滝が待っていてくれた。

昨年、下山前に山小屋の管理人さんから
「降りたら滝行ですか笑」
と言われて

「え?でも夏は水出てないんですよね。去年も一昨年も出てなかったです」

なんてやりとりのあと、下山しながら
「ああ言われるとなんか出てる気がする…!」
と期待しながら急足で降りると
水が出てたというエピソード。

ようやく八海山の神様にも
少し認められたのかなと…

今年もちゃんと流れていた。

ところでワクチンの酸化グラフェンやシェディング対策として松の葉が巷で流行っている。

お茶を飲んだりタバコにしたり。

松の葉に含まれるスラミンやグルタチオンが排毒に効果があるとかないとか。

よく考えると松は邪気除けとしてもともと
使われている。

松の葉は料理に添えられることもあるし

門松や新年の榊に付けられたりもする。

邪気祓いとして用いられていたことを考えると
解毒作用があることは納得できる。

この松の葉で思い出したのが
私の山岳信仰の原点となる
祖父母の里山の不動堂。
(東北三十六不動の一つ)

三ヶ日に雪が積もる中
沢を登りながら小一時間すると
不動堂につく。

そこでお参りしてあとは
辺りの乾いた松の葉をかき集め
焚き火をして暖をとる。

いま思えば焚き火をしていた所は
行者が護摩を焚いていたんだよなと。

この煙そのものが感染症対策に効果がある。
燻製などが良い例。
煙に含まれるアルデヒドはインフルエンザウイルスを死滅させるという研究もある。 

その点でいえば
出羽三山の山伏修行の一幕である
南蛮いぶしもまた、
同様に感染症対策も兼ねた
理にかなった行だと考察できる。

護摩や火渡り祭などの火もまた
煙を伴うことで感染症への効果をもたらすから
邪気祓いとして用いられてきた。

先人の智慧を現代科学で
しっかり解釈をし直して再検証しないと
やってきた意味や意義が
どんどん見失われてしまう。

現代医療を乗っ取ったロックフェラー医学を筆頭とするいんちきだらけなフェイクサイエンスに負かされていては意味がないのだ。

【病×平癒×泡雪】

祝詞辞典に目を通していたら
出羽三山神社からの出典が多数の著書だった件。

その中でも病気平癒祈願の一節が
心に響きました。

「…悩む病を春の泡雪の消ゆるが如く迅く速けく癒し給ひ…」

病が春の泡雪が消えるように速くなくなってくれと、、、なんとも雪国らしい表現が憎い。

しかし現代病の慢性疾患は
そんな簡単に消えるものではないのが現実。

「慢性」と呼ばれるように日々の食事や習慣からのプーファや毒物摂取による積み重ねが大きな要因をしめる。

積み重ねによる病気は
その逆の積み重ねでしか癒えない。

治癒や健康も日々の積み重ねです。

そして体質改善の目安は最低100日。
(百日でスタートラインに立てる、という意味あい)

実践によりもたらされる変化、
そしてその習慣化、定着化、
定着化した変化の季節変動の中での 
融和の確認など、

これらを踏まえても
四半期の約90日+αは
一番理にかなってるのではないかなと
感じるこの頃です。

小手姫神社祭典〜その④

小手姫

大伴連糠手(父)

錦代姫(娘)

祭典の神拝詞では小手姫のほかに父の大伴連糠手と娘の錦代姫もあわせ三神で拝した。

直会が終わり、小手姫様へ挨拶して帰る前にひとつ寄り道をした。

大伴連糠手にまつわる場所とされるお不動様へ案内された。

案内していただいたのは茨城のNさん。

実は昨年、小手姫神社を訪ねた時に「うちに毎年くるN君て子がいて、秋の峰行く予定だよ」と宮司さんから教えていただき峰中に会えるかなと楽しみにしていた。

結局都合で参加できなかったらしく、峰中で会うことはできなかったけどこの日ついにお会いすることがかなった。

ここへ来れば会えるんじゃないか、そんな氣はしていたのだけど。

Nさん曰く「忙しくてとても行けるような状況ではなかったんですけど、やっぱり今日は行かなきゃいけない気がして無理やり来ました、、、」

祭典から直会までの出来事を考えると、そんな感じになるのも致し方ないとおもう。

小手姫様とおじいちゃんは妙な引きの強さを持っているんだもの。

そしてこの日ようやく出会えた。

案内されたお不動様ははいつも気になりつつも通りすぎる磨崖仏の場所だった。

Nさん曰く、裏に管理人さんの家があるのだが、とある事件でお亡くなりになられたとか、、、妙に気が進まなかったのはたぶんそのせい。。。

一緒にお不動様を拝んだあとNさんは色々教えてくれた。

小手姫様が使ったとされる晒し石がある川の少し下流に佇むお不動様。

お不動様だけにここら辺にかつては滝の行場があったんじゃないかともいわれているらしい。

また、ここにもともとあった御本尊はその昔ある人に持ち出され、米沢と福島の県境手前にある某不動尊に今はあるといういい伝へがあるらしい。

その不動尊は昨年妙に氣になりちょうど訪ねていた。

もしかしたらこことの繋がりだったのかもしれない。

色々思いを巡らしながら米沢へ帰る途中、

ふと脇を見るとその不動尊の看板がちらりと目に入る。目に入ったら気になるので足を運ぶ。

「あのぉ、、さっき、、ある人から教え頂いたんですけど、、、月舘からお引越しされたんですって、、、?」

Nさんとの出会いによって、小手姫伝説からお不動様へ謎のシフトが起こって一日が終了した◯

月舘にも出羽三山講があるのでここにも湯殿山の石碑などが。

小手姫神社祭典〜その③

小手姫神社〜その③

直会でおじいちゃんの小手姫伝説の伝承を聴き終わったあと、出羽三山神社の宮司さんと少しお話しさせて頂いた。

「法螺貝見せてみろ」

という話しになり見て頂いたら

だいぶ古い法螺貝じゃないかということだった。

吹き口が木のものは昔の法螺貝らしい。

貝の厚みも最近のものより厚いとか。

(製作中の貝と比べてみたら確かに厚みがちがった…)

先輩山伏のお二人も

「どうしたのこれ?」

「ヤフオクで、、、一万三千円です」

「もう一回ヤフオクに出したら◯十万円かもよ(笑)」

と冗談半分に言われかなり有難い落札だったのかなと改めて思った。

平均相場からみて安めの落札だったので期待はしてなかったけど、手元に届いた時はかなり驚いた。補足説明にあった修験をやってた出品者のおじいちゃんの顔が浮かんできたくらいなので、、、とんでもないものがやってきたなと。

ただその反面こういう「修験をやってた親族の形見」がネットで売りに出されているという現実があり、それはそれでちょっと悲しいことでもある。

本来なら誰かに受け継がれていくべきものなので。

そういう想いも感じたので、

「修験のおじいちゃんの続きをやらせて頂きます」という気持ちで使わせて頂いてます。

ある意味これがご供養でもあるのかなと思っている。

これもなにかのご縁なのでしょうね。

※写真は今年の1月、甲斐大和の石尊大権現のお山へ。山伏の先輩と。