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【仕方×選択肢×リスクヘッジ】

フェイクパンデミックに取り巻く問題のひとつとして、

「仕方がない」
という言葉を最近特によくきく気がしますが、

“選択肢がない”というのは
とてもリスクが高いです。

選択肢がない時というのはだいたい

①問題を先送りし続けて詰んだ時か
②恐怖や洗脳で支配されてる時の

どちらかです。

生死を分ける究極の時ですら
選択肢は恐らくあります。
(選択肢をどうにか見出せなければ
絶対に生き残れるませんので。その意味で必ず選択肢が生じます)

仕方(やり方)は最低でも二択以上はある。

なぜなら少なくとも裏と表が
この世界には必ず存在するからです。

選択肢がないのは、

選択肢を探そうとしない
選択肢を作り出そうと工夫しない

という問題解決に
程遠い状態であり

そうなるのはエネルギーが
とても低いからであり

精神的にもとても宜しくない状態です。

つまり「仕方がない」というのは
日常においては危険信号の指標の
ひとつと考えます。

それで自分の人生や使命にコミットできるのか、

正攻法に対する他のやり方はどうなのか、

そもそもなぜその選択肢のみになったのか、

本当に「仕方がない」のか、
一度よく胸に手を当てて
考えてみることが大切です。

【脱力×集中力×ピラミッド】

ひと仕事終えた
施術直後のこの集中力、笑

4月からとあるお宅で毎月開催される流れになった施術会での施術の後、お子様が花札を所望。

ひと勝負したあとふとメディテーションをしたくなって札を組んでいく。

三角って神様降ろせるやつですしね。

脱力と集中は花札の裏表のように
本来はあわさっている。

集中力の中の脱力が
最適なバランス感覚を
もたらすのデス(┐ε:)

真剣に生きる人ほど無理はしない

松下幸之助

「真剣に生きる人ほど無理はしない」

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さきほどこんなものが飛び込んできた。

無理して頑張るというのは
漠然とした不安を打ち消したいゆえですが、

それでは自分と向き合っているとは
結局のところ言えないのです。

弱い自分や
汚い自分と
腹を据えて向き合う。

それが”真剣に生きる”の意味するところ。

これをつきつめていけば
過度な依存はなくなり、

過剰な無理はおそらく生じなくなる。

依存の根幹は共同幻想である”通貨”であり
そこに付随する”価値”という概念そのもの。

SDGsとか言っちゃってますが、
権力者が搾取しつづけ
庶民という奴隷を頑張り続けさせた結果が
今の世界であり、

さらに頑張らせようとしていることに
なぜ気付かないのか不思議です。

グローバル化、
全体統一が全てを歪ませており、

本当に貧しい国や人々のことを考えるのなら、
いまのこのシステムを脱却するために
どういう生き方ができるかを模索することであり

お偉いさんのアジェンダに淡い夢と理想を
みることではございません。

「なぜこうなったのか?」
を深く考察しないと本当の目的地は
はっきりと見えません。

話はそれましたが、

真剣を携えていればそれこそ
無理はできません。

無理すればそこで終わりなので。

そこでかんたんに終わってしまっては
自分の道を通せないのでやはり
無理はできません。

生き抜かないといけないので。

“無理をしているうちは真剣ではない”

なんとも深い問いかけです。

そしてとても厳しい言葉です。

一年前に吠えてたこと

‪宗教者は人を導く立場なのだから
誰よりもリアリストでなければならない
とコロナ災禍で日に日に強く感じている。

そして自然と向き合う修験者はその中でも
誰よりもリアリティを持たなければ
ふだん修行してる意味がないと思う。

これは私が医療というものに
踏み込んでいるからかもしれないが
昔の修験者は医術の領域も
役割として担っていた。

生命=自然=神の世界=宇宙

われわれが生かして頂いている
現実世界をありのまま受け入れることは
妄想にとられている己に気付き
その気付きは”知”を授けてくれる。

そしてその知は
人が生み出す妖や
まやかしの世界を退く
不滅の力となる。

人事を尽くした先に初めて
天に、神にお任せできるのだから、

可能な限りのリアリティを尽くさねば
届く祈りも届かないだろう。

人事を尽くさない神頼みは
それこそ丸投げの無責任な
他力本願でしかない。

信仰と向きあう

それは今生きているこの世界と
向きあうことであり、

清濁ふくめた現実と向き合う

そういうことではないのだろうか?