Polyreactivity of antibody molecules
— 読み進める www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1471490604000547
抗体分子の多反応性について
要約
抗原抗体相互作用の「鍵と鍵」の仮説は、長い間免疫学的思考を支配してきました。 しかし、まったく無関係なさまざまな自己抗原および外来抗原に結合できる多数のモノクローナル抗体(すなわち、多反応性抗体)の存在を実証する研究により、この見方が変更されました。 多反応性の最良の説明は、多くの抗体分子の抗原結合「ポケット」が以前に考えられていたよりも柔軟性があり、さまざまな抗原に対応するためにコンフォメーションを変更できることであると主張します。 生物学的機能の観点から、免疫学的防御における多反応性抗体の役割の賛否両論の証拠について議論します。 逆説的に、多反応性抗体を作るB細胞は多くの異なる内因性宿主抗原に結合できるため、免疫寛容の誘導および/または維持に関与している可能性があると推測されます。
Human Germline Antibody Gene Segments Encode Polyspecific Antibodies
— 読み進める journals.plos.org/ploscompbiol/article
ヒト生殖細胞系列抗体遺伝子セグメントは多重特異性抗体をコードする
この論文も抗体は多数の抗原に対して柔軟に対応できることを示唆している。
Antibody promiscuity: Understanding the paradigm shift in antigen recognition
— 読み進める iubmb.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/iub.1397
抗体の交差反応についての論文。
既存の抗体で柔軟に対応できないと無限に変化する病原体には変化し切れず、一個一個に特有の抗体を作っていたら、エネルギーロスであるとともに、間に合わないという現実問題がある(これはホルモンなどのレセプターに言えること。)
ワクチンがいかに非効率で無駄な発想かについて考えさせられる研究です♪
【科学は尽くす×信仰は委ねる】
最近、最終的に科学と信仰は
一つになるものだと考えていますが、
科学の基本は信じることではなく
やはり数字に基づいて証明すること。
信じる対象ではないかなと。
あらゆる可能性を考慮して分析する、
つまり”人事を尽くす”分野でしょう。
細かく分解していくと最終的には
量子的な世界
見えない世界
こういうブラックボックスがあるので
最終的に究極の部分は
神にお預けすることになる。
だから昔から人々は祈ってきたのだと思います。
量子の世界は確率論になってくるから
わからないのだもの。
人事は尽くしても
最後は祈るしかない。
そういう視点から見ると
科学とは物質世界であり
信仰とは非物質的世界であり
お互いが補完しあっている。
“人事を尽くして天命を待つ”
という言葉通りの関係なのだと思います。
科学や医学を過信しているドクターの言動を見てると、科学を”信仰”してる印象がどうも強い。
(私が言いたいのは主に和苦沈信奉者のことだが)
データや数字を俯瞰してないんですよね。
信じたいから全体は見ない。
都合の悪いものは見えない。
(見ると過去の罪の意識が湧いてくるから見ないのですが、そここそ本来は信仰の分野なのですが。悔い改めれば良い)
科学に救いを求めてるのですが、
救ってくれるのは神であって
人間が都合よく解釈した科学ではない。
メリットとデメリットの両方を俯瞰することが
(そもそも和苦沈はメーカーにしかメリットがない)
人事を尽くすことであり、
最後の究極は神様に委ねる。
それが本来の医療であり治療だと思います。
科学は信じるものではなく尽くすもの、
そして尽くした最後は神に委ねる。
これが私たちの生きる世界の
構造ではないのかなと考えるこの頃です。
そういう思想で見てると
いまのPCRやら感染経路不明というのも
その本質はすでに明らかになっているので
全く科学に対して尽くしておらず、
実にインチキばかりで
何も委ねようがないなと
呆れ果てるばかりです。
神様も応えようがないよね。
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。