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シータが言ってるでしょ?

【共生×土×根】

『今はラピュタがなぜ滅びたのか私よくわかる

ゴンドアの谷のうたにあるの

土に根をおろし風と共に生きよう

種と共に冬を越え鳥と共に春をうたおう

どんなに恐ろしい武器を持っても

たくさんの可哀想なロボットを操っても

土から離れては生きられないのよ』

シータのこの言葉に

何度も心打たれてきても

いざとなると

この世界で生きることの

本質を途端に見失う世間様。

闘う、負けない

なぜ敵を作らないと乗り切れないのだろうか。

その目線が根本的に大間違いなことに

なぜ気付かないのでしょう。

我々はお陰様のお陰で

生命をつないでいる。

“土から離れては生きられないのよ”

これはつまり菌からも離れられないし

「ウイルスからも離れては生きられないのよ」

ということも意味している。

今までの経済圏は崩壊必至だし、

畑を探そうかな、笑

土を触っていれば

常在菌シールドも

強化されるだろ。

まず「受け給う」

〜まず「受け給う」〜

出羽三山の山伏修行では「受け給う」が全て。

その言葉を発してから全ての所作が始まる。

自然の力はいつも偉大であり、時には理不尽でもある。

こちらに選択権も拒否権もない。

全て受け給う以外に選択肢はない。

大自然へ身を置いて修行するというのは

おそらくそういう意味もある。

全ては天から与えられたものである以上、

受け給うことが天と一致することでもあり、

それが善を積むということにつながる。

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同じところをグルグル廻ってる人は

「受け取れない」。

というより「受け止めない」

受け止めないから受け取れない。

誰かからの言葉も受け取れないし

ふとした気付きも受け取れない。

受け取る構えがないから

天からのサインも受け取れない。

たがらα1からスタートしてα1へ戻ることの繰り返しになる。

受け給うとα1から循環しつつ

たどり着くスタート地点はα2へレベルアップする。

螺旋の循環にのっていく。

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受け止められないのは文字通りの「空」

つまりスペース=余裕がないからで

そのためにはやはり不要なものを

何かしら手離すしかないんじゃないかと思う。

その手離すものは果たして何なのだろう?

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手離すとは切り捨てるイメージを持つかもしれないが、実は許容することでもあると思う。

例えば、認めたくない自分があるとする。

認めたくない自分とは赦せない自分である。

「そうあるべき自分」である。

どちらも味わうのが「空」だが、

片一方に囚われたのが「そうあるべき自分」。

そして「そうあるべき」とさせているのは自分であり、周りは実はあなたに対して「こうあるべき」とはたいして思っちゃいないし、期待していない。

「べき論」はあなたの激しいひとり妄想に過ぎない。自分一人で勝手に自分に期待をしているに過ぎない。

「べきではない論」もまた同じことである。

本当は「こうあるべきではない」のではなく、「それもまたひとつの自分」と許容すればいい。

マイナス1の自分を認めればそれに対立する

プラス1の自分も存在し得ることになる。

理想的なプラス1の自分が手に入らないのは

マイナス1の自分を赦せていないからである。

限りなく攻撃的な自分がいるのは別におかしいことではなく、そいつが存在するならその真反対には限りなく優しい自分もいるはずなのである。

全てが自分であり、全てが存在して一つの自分である。

どれかに囚われるのではなく、その狭間で味わっているのが本当の自分なのだと思う。

その狭間でしずかに観察しているのが自分なのだと思う。すなわち「空」なんだと思う。

今ある自分を受け給う。

そしてこれまでの自分も受け給う。

現在と過去が受け給へれば、

未来も受け給へる。

自分を受け給へなければ、他人だって当然受け給受へない。

般若心経はたしかに否定することで肯定をしている。

しかしそもそも全てを一度「受け給う」ことができなければ、何も始めることができないし何も起こりようがない。変わりようがない。

自分を「受け給う」ことが全ての始まりなんじゃなかろうか。

岩茸

幻のキノコ、仙人の食物

「岩茸」

お山の帰りにいつも立ち寄る木曽福島の道の駅でゲットしてきました。

柔らかい薄いナマコのような

海藻っぽいような

でもどこかで絶対食べた記憶のある味。

栄養価少なそうですが、

食べるとなぜか力が湧いてくる。

夏のシーズンには欠かせなくなりそう。

しばらくあらい続けても

ひたすら汁が黒くなる。

この黒色がどこからきてるのか

とても不思議なフシギタケ。

でも裏側の色がとても鮮やかな緑なのです。