【科学は尽くす×信仰は委ねる】
最近、最終的に科学と信仰は
一つになるものだと考えていますが、
科学の基本は信じることではなく
やはり数字に基づいて証明すること。
信じる対象ではないかなと。
あらゆる可能性を考慮して分析する、
つまり”人事を尽くす”分野でしょう。
細かく分解していくと最終的には
量子的な世界
見えない世界
こういうブラックボックスがあるので
最終的に究極の部分は
神にお預けすることになる。
だから昔から人々は祈ってきたのだと思います。
量子の世界は確率論になってくるから
わからないのだもの。
人事は尽くしても
最後は祈るしかない。
そういう視点から見ると
科学とは物質世界であり
信仰とは非物質的世界であり
お互いが補完しあっている。
“人事を尽くして天命を待つ”
という言葉通りの関係なのだと思います。
科学や医学を過信しているドクターの言動を見てると、科学を”信仰”してる印象がどうも強い。
(私が言いたいのは主に和苦沈信奉者のことだが)
データや数字を俯瞰してないんですよね。
信じたいから全体は見ない。
都合の悪いものは見えない。
(見ると過去の罪の意識が湧いてくるから見ないのですが、そここそ本来は信仰の分野なのですが。悔い改めれば良い)
科学に救いを求めてるのですが、
救ってくれるのは神であって
人間が都合よく解釈した科学ではない。
メリットとデメリットの両方を俯瞰することが
(そもそも和苦沈はメーカーにしかメリットがない)
人事を尽くすことであり、
最後の究極は神様に委ねる。
それが本来の医療であり治療だと思います。
科学は信じるものではなく尽くすもの、
そして尽くした最後は神に委ねる。
これが私たちの生きる世界の
構造ではないのかなと考えるこの頃です。
そういう思想で見てると
いまのPCRやら感染経路不明というのも
その本質はすでに明らかになっているので
全く科学に対して尽くしておらず、
実にインチキばかりで
何も委ねようがないなと
呆れ果てるばかりです。
神様も応えようがないよね。