宗教者は人を導く立場なのだから
誰よりもリアリストでなければならない
とコロナ災禍で日に日に強く感じている。
そして自然と向き合う修験者はその中でも
誰よりもリアリティを持たなければ
ふだん修行してる意味がないと思う。
これは私が医療というものに
踏み込んでいるからかもしれないが
昔の修験者は医術の領域も
役割として担っていた。
生命=自然=神の世界=宇宙
われわれが生かして頂いている
現実世界をありのまま受け入れることは
妄想にとられている己に気付き
その気付きは”知”を授けてくれる。
そしてその知は
人が生み出す妖や
まやかしの世界を退く
不滅の力となる。
人事を尽くした先に初めて
天に、神にお任せできるのだから、
可能な限りのリアリティを尽くさねば
届く祈りも届かないだろう。
人事を尽くさない神頼みは
それこそ丸投げの無責任な
他力本願でしかない。
信仰と向きあう
それは今生きているこの世界と
向きあうことであり、
清濁ふくめた現実と向き合う
そういうことではないのだろうか?