平和を叫んで
戦争を後押しする人種が
よくわからん。
とらえてる平和の定義が
ちがうってことよね。
言葉とは概念でしかなく
捉え方や意味するものは
実際には人それぞれ。
言葉を共有していれば
分かり合えているというのが
そもそも大きな勘違いという
良い例かも。
だからこそ現場や空間が大事であり
感覚共有が必要なのだ。
フェイクパンデミックで生み出された
異様な空気に疑問を感じない人々は
同じくそれに続くよりセンセーショナルな
紛争という事象で巻き起こる空気に対しても
疑問を感じないのは当然のことかもしれない。
本質は同じなのにね。
昨年に池田清彦氏が著書で現代優生学に言及した中でナチズムの再来を危惧していたと記憶してますが
まさにその流れが続いているなと。
これぞ「戦々恐々」だと思います。
フェイクパンデミックで続いた抑圧に
よりインパクトのある出来事を被せると
人はそこにはけ口を求めるのは自然の流れ。
全部うまく計画されていることが
よくわかる。