西洋医学の基本的な考え方は
一元論といって
物質(器官)がまずあり
そこに機能が付随していく。
物質(器官)ありきだから病態毎に
どんどんどん細分化していくしかないので
◯◯科というものに沢山分類されて
結局どの科へかかれば良いのかわからなくなる。
東洋医学の基本的な考え方は
二元論といって
まず働き(気血津液)があり
そこに物質(消化管、骨、筋肉などの物質)
が従う。
どちらが正しい
どちらが良いかというよりは
状況によって考え方のベースを切り替えていくほうが、応用力の幅が広がる。
言葉というのもここに当てはめられるなと
ふと考えた。
「言語」としての言葉は一元論的であり、
細分化されるものであり、
情報を伝える・分類するという
機能的なものとして利用される。
ラベルとして機能するが
そこに本質や真実は備わっていない。
一方で
「言霊」としての言葉は二元論的であり、
そこにはまず働きがある。
言霊の作用は私たちの感情を動かし
祈りとなって届き
物質世界にも影響を及ぼす。
言霊じたいに治す力もあるので、
東洋医学にもマッチする。
言語と言霊。
この2つもまた状況にあわせてベースをどちらに重視するかで、その効果もきっと変わってくる。
機能的な問題で伝わっていないだけなのに
「言霊できっとこの気持ちは届くはず」
と思って言い続けても
いつになっても伝わるはずがありません、笑
言葉の難しさはそこにあるのかも、
とふと思った次第です。
中医学の先生から面白い話を伺いました。
「糞塊(ウンコ)は気の備蓄」
つまりウンコには気が溜められていると。
気が不足してるorするから
身を守るために大腸の中にウンコとして
気を溜めている。
(逆に下痢は気を出すから
すごい疲れることになる。)
この話、私はすぐ腑に落ちました。
恐らく山に行く人はいつも体験しているはずなのです。
私は行の場合でもレジャーの場合でも
山へ入るといつもウンコが出なくなります。
そして山を降りると翌朝くらいに濃縮された便が出てくる。
そして以後は普通の便に戻ります。
この現象自体はトイレに行けない状況下での身体の適応能力くらいに考えていたのですが、
「ウンコに気を備蓄する」と聞いて、
ああそういうことなんだなと、
とても納得できました。
山という危険な場所に入るため、
命を守るために気がウンコへ自然と備蓄されているんだなと。
ここでいう気は「衛気(えき)」と呼ばれる体表を流れ、身体を外邪から守るバリアの役割をする気のことを指します。
保温作用もあります。
つまり天候の急変による気温の変化から身を守ってくれるのが衛気になります。
身体を守るために自然と気を備蓄するシステムが備わっているとは…ひさびさに目からウロコです。
============
便秘で悩んでる女性は多いですが、
便が出ないことに悩むよりも
「気を備蓄しなければいけない」状況下に
あることを見直した方が良いのかもしれません。
気を消耗する何かしらの原因が身の回りにあるから気を備蓄しようとして便が出てこない。
つまり便を出したいのならば、
気を備蓄しなくても良い安心できる環境を
整えることが、根本的な便通解消法の1つと
考えられます。
食物繊維や水をきちんととって運動もしても
出ない!
という場合は「環境(ストレス)」が原因なのかもらしれません。
便が溜まっている時は身体が気を溜めて守ってくれていることに感謝しないといけませんねぇ。
(ちなみにこれは大腸の中の塊に気が溜まるという話なので、コロコロ小さいウサギの糞様の便は出さなきゃいけない状態の便だそうです)
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。