チベット・ケサル大王伝の語り部たち

5月1日

チベットの伝説の英雄・ケサル大王を語り継ぐ語り部のドキュメンタリーを見てきました。

気合い入れて臨んだわけでもないですが、開始2分で涙が落ちてきました。奥底で懐古かなにかを感じたのでしょうね。

チベットの信仰についてはホワンとした理解しかしていませんでしたが、つい先日仏教伝来の時期は日本とそれほど変わらないことを知り新たな興味が湧いていた矢先だったのでとてもタイムリー。

特に興味深かったのは語り部たちのケサル大王伝は古来から神懸かりで継承されており、ある日突然、山の神や僧侶が現れて書物を渡されて語れるようになった、、、という方々が半数はいること。(といっても現在総数はわずか20名ほどらしい)

装束の王冠をかぶるととたんに流暢に語り出す姿がなんとも神々しいのでした。

それが特別修行などをしてきた人ではなく、

学校も殆ど通っていない遊牧民だったりするので(文字もあまり読めない)、

そこはやはり清い環境で清い心が育っているからなのだろうなと感じました。

今回驚いたのは仏教伝来から現代に至るまでの信仰の変遷が日本となんだか似てること。

八百万の神のように万物有霊とするボン教という自然信仰があり、そこへ仏教を取り入れいまのチベット仏教と呼ばれるスタイルになったのは日本の神仏習合と形としては少し似ている。

古来からの自然信仰に仏の智慧が融合し、人々がより良く生きられる。

自然とは純粋が故に荒ぶることもある、それをうまく諌めるために智慧も必要だから仏教が導入された、と考えるこの頃。

仏教はパワースーツのようなもの。だから分離や弾圧をさせられる。

そこから時を経て文化大革命での仏教弾圧で破壊された寺院の傷ましい有様は明治の廃仏毀釈のようだった。

日本とチベットを見ると、近代化・資本主義化したい支配者側からすると自然崇拝と仏教の融合というものは1番厄介なものらしい。

2008年の四川大地震ではチベットも被害に遭い、その後の復興で近代化が進み、環境が破壊され、みんなスマホを持ち遊牧民の伝統生活もガラリと変わりつつある、、、このような状況下で果たして語り部は受け継がれていくのだろうかというのが今回のドキュメンタリーの主眼だった。

自然崇拝をする地域にとって

近代化により自然と疎遠になるということは

神と人が疎遠になっていくということ。

これは日本がすでに経験してきたこと。

日本が明治以降150年くらいで経験してきた近代化と信仰衰退をチベットは半世紀ちょっとというもっと短縮された期間で急速に経験している。

ドキュメンタリーを見てるとどうしてもチベットに日本が重なり、そしてその行く末が心配になるのでした。

それにしても映像に出てきた

タルナ寺のお山は修験派としてはとても気になる所でした。

素晴らしすぎる。

行ってみたい。

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