こんばんわセンシです^_^
浸かり行6日目。
水が冷たいから身体が震えると思い込んでいたのだけど、どうも違うらしいと考える体験をした。
水に抵抗せず
波動をそのまま受け入れて
口からそのまま出すと
すんなり水と一体になれた。
いつまでも入っていられそうな感覚。
震えてるのは水なんだ。
水の振動を受けて身体が震えるんだ。
そういえば分子運動してるわけだし。
寒いと身体が震えるけど、
あれも寒さで震えるというより
「熱を起こすために震える」
というのが作用の観点から見た場合適切な表現。
「震える」というのはエネルギーが生じているということ。
「震える」とは意外とポジティブらしい。
寒くて最近調子悪い方はぜひ
寝る前に水をシャシャッとかぶって
そのままあったかくして寝てみてほしい。
水の振動が身体に熱を起こし
朝になると風邪が滅せられているはずです。
おっかない振動の正体、、、今日はふとその正体に気づき「もしやあなたは、、、?」と問うてみたら返事が返ってきた。
なぜか答えはいつも授業中に突然飛んでくる。
割りこみをやめて欲しい(>_<)
多分いまこんな感じ↑↑↑
今日はフェイシャルエステの仕事をしながら週末はボルダリングにいそしみ「ケアはやってません!」と腕がパンパンなお方の施術をした。
セラピストの施術ってなかなかシンドイのだけど、一番おもしろい。
==============
心と身体が離れていくと
ある一線を境に噛み合わなくなってしまう。
「カラダと相談する」
という言いまわしがあるけど、
やはりカラダは自分のものでありながら
自分のものではない。
沢山の腸内細菌がいたり
ミトコンドリアや赤血球や白血球など
無数の機能細胞が複雑に連動して生命活動が維持されている。
そこには「自分」の意思は関係なく、
日々淡々と自動的に営まれている。
環境に反応して中枢が自動調整をかけているが
「自分の意識」が作用して「コントロール」してるわけではない。(作用する時もあるのだろうけど)
思い通りにしてる気がするけど実は思い通りにならないのが「自分のカラダ」なんじゃないだろうか。
「自分のカラダ」は大自然、大宇宙と比べれば大きさこそ小さいけど、思い通りにいかないという点では同様に偉大な畏怖すべきな存在なんだと思う。
小さな偉大な大自然。
だからカラダとは「相談」することが
必要なんだと思います。
こちらから意思疎通を図らないと
カラダは少しずつ離れていってしまう。
カラダと対話することで得られるものって
沢山あるんだと思います。
自然信仰、山岳信仰、そういったものの一番身近な対象が実は「カラダ」なんじゃないか
そんなことをふと考えた。
===============
菊名で五行温熱整體の施術しております↓↓↓
http://karadawauchu.com/kikunadia
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。