陰陽の関係
①互根:一組の存在であり、どちらか一方を欠いては存在し得ない
②制約:互いを制約しながら平衡をたもつ
③消長:互いにその量を変化させながら平衡を保つ
④転化:一定の条件下で、陰が陽に、陽が陰に、その性質が変化(転化)する
⑤可分:事象の内容をさらに無限に陰と陽に分けることもできる
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さて、最近あいつぐ教育関係者の淫行問題。
「また教師がやらかしやがった。けしからん。」
などと罵声をあびせたくなる人もいると思いますが、
これについて陰陽の関係で少し考えてみた。
善悪は陰陽とまた別の話になるのと思うのですが、心持ちという点で考えてみました。
その結果、
教師が聖職者たり得るのは最初から無理がある話なのかなと思うのです。
聖職者が陽とするならば
淫行に走る堕聖職者は陰、としましょう。
教師という立場にありながら
ありえない行動に走ってしまうのは
②③のバランスが崩れてしまい
それを戻そうとして④の転化が起こる
そういうふうに考えられると思うんですね。
陰陽で考えると当然起こってしまう結果になってしまう。
つまり淫行に走る教師は
「教師である自分は清く
正しくなければいけない」
と考えており
(ハナから微塵も思っていない人もいるかもしれませんが苦笑)、
というよりむしろ脅迫観念にかられており
陽に極端に傾け続けたまま
その途中でガス抜きがまったくできずに行き着いた結果なのかなと思うわけです。
牧師などの淫行問題も調べるといろいろありますよね。
問題を起こした人たちの頭の中はおそらく
「私は聖職者なんだ」
でいっぱいなんだと思います。
粛々と毎日のお勤めをこなす方々はそもそも自分のことを聖職者だとは思っていないはず。
「善くあり続けよう」と無理をすると
どこかで必ず帳尻あわせが起こる可能性がある。
この前提で生きていたほうが
持続的なんだとおもいます。
サスティナボーですね。
中庸=自然体であるのが
いちばん穏やか^ ^
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