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チェルノブイリと福島、そして女川

今日はがんばっぺにて新年のもんじゃ初め。

今年から開催が第二日曜になったので、いつもより避難者の参加が多かった。
そんな中でのチェルノブイリレポート発表。

新年早々まさかのPCコネクタ忘れで、構成はだいぶ変わってしまいましたが、映像中心に福島避難者の前での二回目となるチェルノブイリ報告。
浪江の方、いわきの方、そして東京の方などから率直な質問や感想をお聞きできました。
あとから聞いた話で「今日の発表はほっこりしていて良かった」など割と好感触もあった模様。

質問タイムでは、福島の方がそれぞれの気になることをや想いを発言しました。
意外と感覚的な部分の質問も多く、私も助かったというか、同じ目線でのやりとりになって良かったと思いました。

チェルノブイリへを訪問して確信したのは、
「放射能の問題ってやはり数値じゃ割り切れないものが多分にあるな」
ということです。

人工的に作られたものではありますが、人間がコントロールできないほどの莫大なエネルギーを持つそれは、自然と同じで数値で割り切れない要素があるのだと思います。

最後に質問した方は「チェルノブイリは実際は何トンの核燃料があったのでしょう?なぜこんな質問をするのかというと、私は色々な話を聴きにいってますが、学者や専門家は両極端にわかれるんですよ。データに基づいた客観的な結論はきいた事がない。最終的にいつも感情論になる。私が基になるデータについて訪ねるといつも黙り込んでしまう。質問を打ち切られてしまう」

そんな気持ちを私にぶつけていただきました。
それ、私も全く同感です。
いつもうやむやだなぁと。
すぐ感情的になる。
データを基に感情論を否定する方々が、結論に迫ると一番感情的になってるような気がしてます。

私は専門家ではないので断定したことは言いませんし、言えませんし。
曖昧かもしれないけど、それが今ある現実じゃないのでしょうか。
専門家もはっきりとはわかっていない、それが現実にわかっていることだと思っています。

発表が終わってから、女川から避難してる方が地元の原発の話をしてくださいました。
この方の家があったのは女川原発から8km圏内。
原発ができるまでから、その後の地元の様子など色々詳しくお聞かせいただきました。

「今となっては地元の人は後悔してる。でも結局、交付金なのよねぇ」

水産加工業などは、原発が作られてからは売り上げが自然減していき、
「原発は作るべきではなかった」
と後悔しているそうです。

東日本大震災の時も、防災訓練で聞く女川原発の高音のサイレンが「ピーーーッ」と鳴り続き、
「原発がやばいんだ」
と覚悟したそうです。

そのような話に切なさを感じながらも、
この日は新しく知り合った浪江の方に「何かあったら手伝うから言ってね」とか、
いつもお世話になってるいわきのかたにも「人必要だったら集めるから」とか、
なんだかあたたかいお言葉を色々頂いて嬉しい一日でした。