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まず「受け給う」

〜まず「受け給う」〜

出羽三山の山伏修行では「受け給う」が全て。

その言葉を発してから全ての所作が始まる。

自然の力はいつも偉大であり、時には理不尽でもある。

こちらに選択権も拒否権もない。

全て受け給う以外に選択肢はない。

大自然へ身を置いて修行するというのは

おそらくそういう意味もある。

全ては天から与えられたものである以上、

受け給うことが天と一致することでもあり、

それが善を積むということにつながる。

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同じところをグルグル廻ってる人は

「受け取れない」。

というより「受け止めない」

受け止めないから受け取れない。

誰かからの言葉も受け取れないし

ふとした気付きも受け取れない。

受け取る構えがないから

天からのサインも受け取れない。

たがらα1からスタートしてα1へ戻ることの繰り返しになる。

受け給うとα1から循環しつつ

たどり着くスタート地点はα2へレベルアップする。

螺旋の循環にのっていく。

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受け止められないのは文字通りの「空」

つまりスペース=余裕がないからで

そのためにはやはり不要なものを

何かしら手離すしかないんじゃないかと思う。

その手離すものは果たして何なのだろう?

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手離すとは切り捨てるイメージを持つかもしれないが、実は許容することでもあると思う。

例えば、認めたくない自分があるとする。

認めたくない自分とは赦せない自分である。

「そうあるべき自分」である。

どちらも味わうのが「空」だが、

片一方に囚われたのが「そうあるべき自分」。

そして「そうあるべき」とさせているのは自分であり、周りは実はあなたに対して「こうあるべき」とはたいして思っちゃいないし、期待していない。

「べき論」はあなたの激しいひとり妄想に過ぎない。自分一人で勝手に自分に期待をしているに過ぎない。

「べきではない論」もまた同じことである。

本当は「こうあるべきではない」のではなく、「それもまたひとつの自分」と許容すればいい。

マイナス1の自分を認めればそれに対立する

プラス1の自分も存在し得ることになる。

理想的なプラス1の自分が手に入らないのは

マイナス1の自分を赦せていないからである。

限りなく攻撃的な自分がいるのは別におかしいことではなく、そいつが存在するならその真反対には限りなく優しい自分もいるはずなのである。

全てが自分であり、全てが存在して一つの自分である。

どれかに囚われるのではなく、その狭間で味わっているのが本当の自分なのだと思う。

その狭間でしずかに観察しているのが自分なのだと思う。すなわち「空」なんだと思う。

今ある自分を受け給う。

そしてこれまでの自分も受け給う。

現在と過去が受け給へれば、

未来も受け給へる。

自分を受け給へなければ、他人だって当然受け給受へない。

般若心経はたしかに否定することで肯定をしている。

しかしそもそも全てを一度「受け給う」ことができなければ、何も始めることができないし何も起こりようがない。変わりようがない。

自分を「受け給う」ことが全ての始まりなんじゃなかろうか。

蜂子様から飛んできて

今年も8月25日(土)から9月1日(土)にかけて出羽三山の秋の峰入りが行われていた。

行われていた、と書いたのは今年自分は参加しなかったから。

今年は期間中にどうしても外せない用事が一日だけ発生したため不参加になったのだが(そのかわりに八海山登拝を行った)、なんと遠くから陰ながら参加することになってしまった。

なぜならば、、、、

蜂子様からのアウトソーシング依頼が来たから。

「今日から峰入りだな、良い峰入りになりますように」

と祈りつつ眠りについた土曜の夜から、実は意識がずっとお堂の蜂子様の前に座っていた。

で、翌朝、朝の勤行をしようと神棚の蝋燭をつけるやいなやドロドロと蝋燭がいきなり溶け始める。

え、、、!?えぇっ、、、!?

ここ半年くらい自宅での蝋燭の祓いは勤行中も発生せず落ち着いていたのに、ここにきて久しぶりにガチなオート祓い発動。

八海山から帰ってきてまだ間もなく、まだ心身ともに綺麗だし(のつもり、笑)全く身に覚えがないこの突然の祓い。

一体なぜ!?何が起きた??

と鳩が豆鉄砲くらったまま拝み始める。そしていつものように神様系が終わり修験系へうつると、、、ピンときた。

「あ、これ出羽三山からきてる、、、?そういや昨夜からずっと蜂子様の前に座ってたもんな」

と気付いたら蜂子様が

「お前も祈れ」

、と。

げ、マジか!!

これはどうもお経の地の祓いじゃないとダメなやつ達らしい。神社系の峰中は基本的にお経は一切あげない。しかしそこで見守ってくださる蜂子様こと能除仙のお坊様はお経であげないとダメなものも沢山あるってことらしい。(去年もそこは強く感じた)

昨夜は峰の初夜の勤行。

下界から上がってきた修行者たちの最初の禊だからそりゃあドロドロしてるのも仕方ない。恐ろしいほど色んな穢れのごった煮だ。

お経で祓いたいタスクがあるからお前も手伝え、そういうことなんだと理解した。

蜂子様とつながってる。。。

昨年は「蜂子様へ逢いにいく」がテーマだったのだけど、しっかり蜂子様とつながってたんだなと嬉しく思う反面、

行者ってこんな感じなのかー

とちょっと驚きも。

だってはるか向こうの蜂子様からアウトソーシングで依頼されるとは!!

なんか会社みたいだ。上司と部下と変わらないじゃないか。出来ないと怒られるのか?査定が下がるのか?

なんてぶつぶつ思いながら任務にあたる。

九條錫杖の祓いから始めり般若心経、そして観音経へ。そういえば同期の一人は西日本豪雨の活動で奔走してた。そこの仏様も付いてきているようだった。そのご供養もしなければ。

そして祓いとご供養をしながら蜂子様がまたポツリと一言。

「今年は大変だ」

とな。

どうも一週間ずぶ濡れの行らしい(後に実際そうだったことを知る)

最後は陀羅尼陀羅尼だらにダラニ、、、、

一通り終わると蝋燭も落ち着き、うん、任務完了◎

とはいえ峰中は安心できないと思っていたら、翌日もやはり突然ドロドロドロドロと蝋燭が溶けはじめまたアウトソーシング開始っ!!

毎日三山拝詞などあげてから修験で祓いが一週間続いた。その間もちろん終わったはずの潔斎も復活せざるを得なかった。それが礼儀ってもんだろう。

もともと御嶽に向けての百日潔斎後、参加しないけど峰中終わるまで自分も潔斎だけ続けようかなと考えたりもしつつ、八海山の山小屋で肉が出てきてしまったので「強制終了になったから、まぁいっか」と完全離脱のつもりだったのですが、、、やはりこの世界はそう甘くはない…

しかし貴重な修行をさせて頂き、蜂子様に感謝。

来年からは参加いかんに関わらず、峰入り終わりまで潔斎で臨むことにしようと考えている。なにせ蜂子部長からアウトソーシングの指令があるかもしれないから、苦笑

小手姫神社祭典〜その②

社務所で直会が始まり、おじいちゃんの語りが再開された。

昭和29年、仙台のとある霊能者が御神託により出羽三山の宮司を月舘へ連れてこられ、いまの奥の院の場所で「きちんとお祀りしなさい」と言われたのが小手姫神社と出羽三山のおつきあいの始まり。

(ちなみにこの時、「今後日本で大きな災害が二度起こる」という御神託もあり、そのひとつが3.11だったんだろうと言われているとのこと)

出羽三山講中の世話人をしていたお父様を持ちながら、当時は全く神様なんて信じていなかったというおじいちゃん。

ところがその御神託を受け「お前がやりなさい」と26歳の時に小手姫様の御堂を綺麗に掃除する”小手姫様お掃除隊長”を引き受けることに。

全く手入れのされていなかった御堂の掃除を7人で三日間かけて行った。

そして最終日の三日目、掃除が終わり御堂の前で皆で酒を飲んでいると、姿は見えないけど誰かが御堂の参道をなんども通り過ぎる感じがしたという。その場にいた皆がそう感じたらしい。

月舘には小手姫様の伝説が言い伝えのみで残っている。残念ながら物的痕跡は残っていない。小手姫様が蜂子皇子を追ってこの地へ降り立ち養蚕を始め、機織りを始め、、、結局病でこの地に亡くなるまでの間、先発隊が派遣されており、その最北端の終点地が米沢だったとされているとか。

ところが米沢ではそんな伝説は一切残っていない。

おじいちゃんも実際に米沢へ赴き、米織の関係者を訪ねたりもしたらしいが痕跡は見つからなかったらしい。

米沢で育った私自身そんな話は一度も聞いたことがなかった。

ただ小手姫様の存在を知った時、その時代と地理関係から米織は小手姫様と関係があるのではないか?という考えはまっさきに自然と浮かんできた。

「わたしはね、小手姫様を若い世代に繋げなきゃいけないんだ。今日は米沢から来たあんたに繋がった。有難う。」

小手姫伝説に携わって来た長老は御歳92歳。

帰り際までずっと小手姫様のことばかり口にしていて、周りが「帰るの?杖は?どごさ置いだの?」と心配して何度も尋ねているのに、「わたしはね次に繋がればいいんだ。宜しく頼んだよ。あとはみんなで勝手にやってくれ」と言い残し去っていった。

おじいちゃんのあとを引き継いで世話人をしてるSさんは

「あの人は小手姫様がくっつくと周りが聞こえなくなるんだよ」と苦笑いしながら面白いことを言った。

たしかにこのおじいちゃんは小手姫様に動かされている。

Sさんは岩手の立山とのご縁からいまの宮司さんが着任する経緯を話して下さった。

こじんまりとした月舘という集落、そこで今尚厚く信仰されている小手姫様を知り感動を覚えました。

蜂子様とお会いする前の小手姫様とのご縁と思っていたけど、どうも小手姫様とつながるための出羽三山だったような気がしてならない。

そういえば震災後、初めてガイガーカウンターを下げて飯舘を抜ける時、道に迷ってたどり着いたのも月舘だった。

「月」というその響きもあり、月舘いいところだなーと思った記憶がいまになって蘇ってきました🌙

小手姫神社祭典〜その①

4月8日(日)は月舘の小手姫神社の祭典へ初参加。

昨年の出羽三山秋の峰へ参加するちょうど1ヶ月前、南相馬から福島へ向かう途中ナビで普段と違うルートを通っていたらたまたま目に止まりこの神社の存在を知った。

「蜂子様に会いにいく」というテーマが目前に迫っていた中、その母君の祀られる神社に辿り着いたのはなんとも奇遇。

宮司さんに「毎年、出羽三山の宮司と山伏に協力してもらい祭りをやってる」と教えて頂き、初参加。

奥の院にて小手姫神社の宮司さんと山伏2名が本殿へ入ると祭典スタート。

先ほどまで気持ちよく晴れていたはずなのに祭典が始まった途端、少し柔らかいヒョウがバラバラと降り出してきて、野ざらしの参列者は皆少し戸惑う。

開始時間が近づくにつれてどんどん空気が冷えてきたので、祭典で何か起こりそうだなと思っていたら案の定だった。

降ったり止んだりをしばらく繰り返し、奉納の棒術で「次、龍の型」とアナウンスが入るとそらがぱっと晴れて太陽がキラリとお出まし。

しばらくするとまたヒョウが降ってまた止んで、、、

祭典中に目まぐるしく変わる天気を、宮司さんは締めの挨拶で「一年分の四季を味わうような」と表現された。

昨年峰中で体験した出羽三山のくるくると変わる天気にとても似ている感じがした。

さすが出羽三山。

そんな祭典だった。

何はともあれ無事に祭典が終わり席を立とうとすると、ひとりのおじいちゃんにいきなり声を掛けられる。

「あんたどこから来たんだい?去年も来てた郡山の人かい?」

「米沢からです」

「米沢!?あそこも織物があるだろ?米沢は小手姫様の先発隊が養蚕を伝えてなぁ、、、」

これはなかなか話が終わらないパターンだと直感した(笑)

しかしこのおじいちゃんが月舘の廃れていた小手姫伝説復活の中心人物だということが、この後の直会で判明する。

そして山奥の集落にひっそりと佇む小手姫様が月舘で厚く信仰されていると知ることになったのでした。